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しばらくお別れ

2011年04月20日
あれは、2007年のデビュー戦のライブの後だったと思う。

はるちゃんのステージでの動きが少ないと感じた僕は
「もっと動け」
と言った。

すると、彼女は
「大学時代のバンドで客にお尻を向けちゃいけないと言われた」
と言った。

俺は言った。

「尻なんか、ガンガン見せてやりなさい」

こうして、富岡荘のステージングが固まった。




あれは、2008年1月のロックサーキットの打ち上げの席のことだと思う。

みーちゃんが

「君たちは四畳半ハードロックバンドだ」

と言った。

僕らはこの言葉がいたく気に入り、名刺にも刷り込んだ。
こうして、富岡荘の目指す音楽が具体的な言葉になった。



そして、5人で走ってきた。


そして、3年半が経った。


そして・・・・



ついに



来るべき時を迎えた。




富岡荘2daysラストライブにたくさんの方に来ていただき、本当にありがとうございました。

「感動的なライブをありがとう」と言われました。
だけど、それは違います。

皆さんの応援があったから、そういうライブにさせてもらえたんです。
お礼を言うのは、我々のほうです。


ありがとうございました。



泣くとは思ってたけど、あんなサプライズで泣かされるとは思ってもいなかった。

「やられた」

と思った。





富岡荘を組んだ頃、僕は前任のベースの「とが」としょっちゅう飲みに行ってた。
そして、

「最後のライブでどうやって、はるちゃんを泣かすか」

という話題でいつも盛り上がってた。
いつ飲みに行ってもそうだった。

「カックラキンのエンディングのテーマ曲を合唱しながら花束渡そうぜ」
とか
「さよならの向こう側を歌わせて、マイクをステージに置かそうぜ」
とか。

今、思う。
僕らはこうして結成当初から「最後」を意識してきたんだ。

だから、頑張れたのかも知れない。




今回のラストライブの数週間前、チラッとはるちゃんに

「どうやって終わりたいか」

と聞いた。


彼女は

「普通に終わりたい」

と言った。

だから僕は特別な準備をしなかった。

したっけ、あのサプライズだも。
完全にやられた。





ありがとう。






僕は、ラストを迎えるまでバンドとしてやり残したことがないようにしてきた。
それはできたような気がする。

今は、ある種の達成感もある。



だけど、残念ながらラストライブでひとつだけ残しちゃったなあ。



屁の鳥のキーさえ合っていれば・・・




3年半に渡り、たくさん応援していただき、本当にありがとうございました。
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はるえ(^^)v 転勤、 富岡荘 解散

2011年03月19日
ついにこのブログを書く時が来てしまった。
あまりにも唐突・・・・・



はるえ(^^)v、







転勤。







富岡荘、







解散!







ま、僕が「富岡荘をやる!」って決めた時からすでにカウントダウンは始まっていたから・・・・



先週、彼女から「今年の転勤はありません」と連絡を受けていた。
彼女もmixi日記にその旨書いていたし、僕も何人かの人に「はるちゃん、大丈夫?」と聞かれていたので、僕も「大丈夫!!!」と書かねばと思いつつも、東日本大震災のこともあり、筆が重いままだった。


そして3月15日、




「東京、転勤になりました」




とのメール。



去年はさんざん「解散だー解散だー」と騒いで、あの結果。
今年は「だいじょーぶですよ-」とお知らせしながらこうだも。


ま、富岡荘らしいですかね。



3月20日は予定通りライブを行います。
そして、僕は、このライブを企画する時に決めていたことがあります。



「解散が決まっても、この日を最後にはしない」



だから、3月20日は予定通りです。




僕は、解散が決まったら、3月後半にどこかに無理やり押しかけてゲリラライブをやろうと思っていました。

が、はるちゃんの引っ越しは、この大震災の影響もあり、4月末とのこと。
まだ少し時間があります。

なーんにも何も決まっていませんが、4月中にあと1回ライブをやろうと思います。
3月20日はもちろん、最後の4月も皆さんに大騒ぎしていただきたいと思います。


以上、ご連絡まで。

不器用ですから

2010年10月17日
あの3月20日以来、実に7か月ぶりに小樽音座なまらいぶに参加し、懐かしい「海音」で演奏してきました。

結局、7か月も空いちゃいました。
自分でもこんなに空くとは思ってなかった。


あの3月20日は、自分で思っていた以上に大きなものだった。
それはライブが終わって数日経ってからひしひしと感じてきた。
別にそんなたいしたバンドじゃあないくせに、何か自分の中に妙な達成感があり、「次に何しようか」という気持ちになかなかなれなかった。

それがしばらく続いた。


そして、6月くらいだったかなあ、ようやく1回のライブができるくらいの新曲を選曲したけど、バンド内の事業仕訳で
「どーして、この曲なんですか!!! こっちじゃダメなんですか!!!!」
などと言われ、まあ、いつものことだけどね、なかなか採用されない。

また、採用されても曲をいじるのが好きなもんだから、「あーだこーだ」とアレンジが変わり、曲として固まらない。
ほんと、時間のかかるバンドなんだなあ。

てなわけで、なんとか4曲が新曲として形になりましたね。
富岡荘らしさは失っていないと思うけど、まだまだヨチヨチ歩きで、あぶなっかしいです。
でもね、それがまた新鮮で面白い。
回を重ねればリズムが体に入ってきてだんだん良くなりますよ。



でも結局4曲。
3月20日が終わった時、僕はすべての曲を入れ替えようと考えてました。
が、実際にやってみてわかりました。

僕らは「不器用」なんです。

なんでもホイホイとできるほど器用じゃあないんです。
それが富岡荘なんです。

この数か月でそのことがよくわかりました。


ライブをやるからには、この4曲じゃあ足りません。

メンバーには
「『生まれ変わる』なんてこと言うから、今までの曲がやりにくいじゃないか!!」
と思いっきり文句を言われております。

が、僕は堂々とやります。

いいじゃあないか。

結成して3年、ライブで演奏するほとんどの曲が結成時に選んだ曲であり、新曲にじっくり取組むことがあまりなかった。
僕はそれが不満だった。
それが今回こうしてやってみて、残ったのが4曲。
僕は十分満足してます。

今までの曲も数か月ぶりに演奏してすごく新鮮だった。

僕の気持ちは完全にリセットされました。

富岡荘、がんばろうと思います。

御礼

2010年03月24日
タレにすりおろしニンニクをたっぷり入れ、ジンギスカンを食い始めた時、すでに6時を回っていた。

「飲み食い放題90分にしよう」

という俺の意見は大多数をもって否決され、それでも8人前のホルモンと、もう何人前かも忘れてしまったラムとマトンが7人の腹に収まった。

そして帰ったのは8時半過ぎだった。

テレビでは「関口宏のスーパーモーニング」をやっていて、大沢親分が「喝!!」と叫んでいた。



そして、俺は嫁に「喝」を入れられた。




「タクシー代が高いから始発で帰ってきなさい!!」
との命令は受けていたが、始発には到底間に合わず、オマケにタクシーで帰ってしまった。

「深夜割増じゃなかったし・・・」
という屁理屈がさらに嫁の逆鱗に触れてしまったようだった。




3月20日の「転勤じゃなかったもんね」という詐欺師的なライブに多数の方に来ていただき、本当にありがとうございました。

感激でした。
とてもうれしかったです。

もぎりをやってくれた、たんこちゃん、チューさん、すど~ちゃんさん、そして見事に全てを仕切ってくれたHARPERさん、いつまでもお礼を言います。

ありがとうございました。

何度お礼を言っても足りません。
必ず飲み会を企画しますので、待っていて下さい。


打ち上げもおかげさまで大盛況でした。
楽しんでいただけたでしょうか。
僕は楽しんじゃいました。
やっぱ、打ち上げで美味いビール飲みたいからライブやるんだよなあ、俺。
ダメですかね。



プリズナーズさんはさすがでしたね。
エリックヒロシ始め、全員がツワモノ揃いだも。
押し引きが見事で、実に渋い大人の音楽でした。

ドクトルGさんはもう何も言うことありません。
好きなんだよなあ、最高なんだよなあ。
いつ見ても初めて見た時と同じ衝撃受けます!!

また再びこのすんごいバンドの皆さんと対バンしたいです。


打ち上げの席では

「今のままでよい」
「変わる必要などない」

とのご意見も承りました。
ありがとうございます。

実は僕らもどう変わるか、わからないんです。
ただ、今までと違う曲だけでセットリストを組みたいと思うだけです。

新しい曲をやる時、「富岡荘らしい」とか「らしくない」とかの言葉がメンバー間でよく出てきます。
が、「富岡荘らしさ」とは何なのか、具体的に文章にすることはできません。
ただ、新しい曲を演奏した時に何となくしっくりこないという感覚はあるんですよね。
そういう曲は自然とやらなくなってしまいますね。

まあ、だから曲が増えないんだけど・・・

でも、その感覚って大事なんだろうなあって思います。
そして、それを大事にしていけば、これからも「らしさ」は失わないんでないかなあって思っています。

んー、どうなるでしょうねえ。

僕の中には何曲か候補があるんでね、またバンド結成当時のようにCDにして配ろうと思います。
何かまた新鮮な気持ちになってきたなあ。

てなわけで、これからもよろしくお願いします。

我々は・・・・・

2010年03月17日
昨日、はるちゃんから転勤に関して正式な連絡を受けました。

そして、ついに我々の動向が決まりました。








そっかあ・・・・・・









まあね、しゃーないよなあーー











そうかなって思ってたからなーー、

ここ数日間。











だけどさあ、













何て言われるかなあーーーー










みんなに・・・・・










はい、発表します。












我々、富岡荘は、










ついに・・・・・











「オオカミ少年」になってしまいました。














はい、転勤はありませんでした!!!!!




富岡荘、継続です!!!


本当に、本当に、本当に、本当に、申し訳ありません!!!

さんざん、ここ数ヶ月あおりにあおっておいて、これだも。
富岡荘らしいですかね。

本当に、本当に、本当に、本当に、申し訳ありません!!!


20日のライブに来て下さる方々、特にはるばる遠方より来て下さる方々、また、「これが最後」と、快く対バンを引き受けてくれたドクトルGさん、プリズナーズさん、本当に申し訳ありません。


「なーんだ」とは言わず、ライブに来て下さい!!

お願いします!!!

そんで、打ち上げは「祝う会」とさせていただきます。
これまた、勝手なこと言って申し訳ありません。


なんぼでも謝ります。

ゴメンなさい、そして、これからもよろしくお願いします。



実は先週後半から「転勤はないんでないか」と思ってました。
そして、14日にレコーディングがあったので、全員が集まりました。
そんで、その時に「たぶん転勤はないだろう」ということで、まあ、お祝いムードではあったんですが、全員で今後のことを話し合いました。


そして今後のことを発表します。


富岡荘は



「継続する。が、一時活動を休止する」



ことにしました。



我々は結成した時から、2010年3月に解散するものと思い活動してきました。
そして、そのために無理もしてきました。
特に去年は、ケージローなんかバンド活動ができる状態でなかった。
だけど僕は「やり残すことのないよう」というスローガンを建て、無理に時間を作ってもらってました。

その結果、結局は現状維持が精一杯でした。
それでもよくやったと思います。

が、延命が決まった今、これからも同じことを繰り返すのはバンドとしてあまりにも成長がなさ過ぎます。
そこで、ここで一回リセットしたいと思います。

「何か新しいことをしたい」

これがメンバー全員の一致した意見です。
だから、今までの富岡荘は、やはり20日が最後です。
いつになるかわかりませんが、20日のライブ以降は生まれ変わるまで沈黙しようと思います。

そして、いつか生まれ変わった富岡荘を見ていただこうと思います。


これからもよろしくお願い致します。
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